世界記録プログラムをデザインされた藤平明子さんに訊く。

9/14「世界記録更新への挑戦」当日、挑戦者に配布されたプログラムを制作された藤平明子(とうへい・あきこ)さんに、制作過程や、込められた思いなどについて伺いました。(2019年10月)

マンダリンエレクトロン(以下、ME):藤平さんにはこれまでの何度も弊社主催のマトリョミン合奏イベントにおいて、プログラムを制作していただきました。テルミン発明100年に際し実施された世界記録更新への挑戦を振り返りながら、プログラム制作についてお話を伺えればと存じています。

 今回のデザインも意匠的に特徴があるだけでなく、テルミン発明100年の歴史や、日本が関わった26年間の時の流れを感じられるデザインになっています。藤平さんご自身も長くテルミンやマトリョミンに取り組んでおられますが、デザインするにあたり、藤平さんの思いなどありましたか?

 

藤平明子(以下、藤平):これまでも竹内先生とお仕事をさせていただく機会を何度かいただきましたが、最初にデザインソースをいただく場合、キーワードをいただく場合などがありました。今回、8月半ば頃に最初にお話をいただいた際には「観音開き」または「蛇腹折り」で、という体裁についてのご指示がありました。そしてその折りの体裁を頭に浮かべた時に、すぐデザインの骨子が決まりました。 それは、「これまで脈々と続く人間の歴史の中で、1919年にロシアで赤い輝く星が瞬きました。そしてその後日本において育まれ、現代の私たちに希望の虹が降り注ぎ、そして後世へと強く大きく続いていく。」というストーリーです。

  今年はテルミンが発明されて100年目の記念の年で、世界記録挑戦にはロシアからレフ・テルミン博士のファミリーをお迎えして一緒に合奏ができるという特別なプログラムでもあります。参加するすべての方の記念となるようにと思い作成しました。

 

ME:今回ならではのご苦労などはありましたか? テルミンファミリーを日本に招くにあたって、パスポートやビザの手続きでは、数名のチームでこれにあたりましたが、なかなか連絡がつかず、本当に苦労しました。

 

藤平:博士の遺伝子を汲むナターリアさん、マーシャさん、ピョートルさんのお3名様を揃ってお迎えするというのが大きな目的の一つでした。初来日となるマーシャさんのパスポート取得や皆さまのビザの手続きもすべて滞りなく完遂するために、サポートチームが3月頃に結成されたと記憶しております。参加予定の約300名の中の3名といっても、テルミンファミリーが参加してくださることはとても重要な意味があります。プログラムのお写真の筆頭に配しておりますが、ファミリーがいらっしゃってこそ、この物語が始まり完成すると思いました。そして、印刷所へのデータ入稿締め切りの数時間前にナターリアさんから参加者へのメッセージが送られてきて、ギリギリ最後のページに組み込むことができ、プログラムにずしりと箔がつきました。

 

ME:興味深いお話をありがとうございました。