伝統


 電子楽器テルミンは1920年(1919年説もあり)にロシアの物理学者レフ・テルミン博士(写真)が発明した世界最古の電子楽器。触れずに奏でます。電子楽器の祖はとんでもなく独創的でした。


 激動のロシアーソ連ーロシアを生き抜いたテルミン博士の一生は、一遍の映画(「Theremin an electronic odyssey」S.マーティン監督)になるほど数奇で波瀾万丈です。私、竹内正実もロシアでのフィールドワークをもとに「テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男」(岳陽舎刊)を上梓しました。

 私、マンダリンエレクトロン代表の竹内正実は1993年にロシアに渡り、テルミン博士の血縁で愛弟子のリディア・カヴィナ先生(写真左)にテルミン演奏法を師事しました。いまでこそ日本でテルミン奏者も、演奏教室も簡単に見つけ出せますが、当時は演奏者もいなければ習える機会もまったく無い。テルミンをめぐる状況は、草木も生えない荒野のような原始状態だったというと、想像に難いかもしれませんね。

 

 当時は現在の様にインターネットなどなく、情報は人づてにしか入ってきませんでした。ロシアの音楽家協会に問い合わせても「テルミンなど知らん」とのつれない返事。そんな私を見かね、当時お世話になっていたロシア語の先生の先生(現:大阪外国語大学名誉教授田中泰子先生)が奔走してリディア先生との縁を繋いでくださいました。リディア先生のもとで学ばなかったなら、今の私はありません。

 テルミンは音律や音階から解放された自由なインターフェースです。昔からテルミンといえば、派手なアクションによるパフォーマンスに使う装置として一部に知られてきました。私はといえば、テルミン博士に始まる演奏法の系譜上におり、その継承者だからというわけでもないのですが、テルミンで美しい音色を、テルミンで豊かな音楽表現をすること以外興味がありません。世界的にみればパフォーマンス、”実験派”のほうが未だ多数を占めておりますので、私のようなアプローチは”異端”扱いされることがあります。 自由なインターフェスであるテルミンですが、あえて自らを”型”の中にはめてしまう。その不自由さの中に自由を見いだしているというと、なんだかねじれていて、ちょっと分かりにくいかもしれませんね。

 2001年8月に映画「テルミン」が国内で一般公開されました。配給会社の担当の方から2000年の年末に映画の配給を予定している旨、相談をうけました。当初、一週間の期間限定で、毎晩レイトショーのみの予定でした。その程度の関心しか集められないと考えられていたのです。試写には私も赴いて演奏披露などしましたが、回を重ねる度に予想を超える盛り上がりを見せ、なんと封切り日には6回上映のうち5回満席となり、上映した劇場(恵比寿ガーデンシネマ)の当時の記録を塗り替えるほどの盛況ぶりでした。全国を巡回するためフィルムのコピーを用意しなければならないほどで、あちこちのメディアで取り上げられ、当時テルミンは話題になりました。私自身もNHK「トップランナー」への出演をはじめ、メディアやコンサートの出演に忙しく駆け回っていたのを覚えています。

 他の先進諸国でも「テルミン」は一様に上映されましたが、これほど関心を集めたのは日本だけです。2001年は21世紀の幕開けの年でしたが、日本における真の”テルミン元年”でもありました。この頃テルミンに興味を持ち演奏に取り組み始めた人は多く、現在テルミンやマトリョミンのスタープレーヤーとして活躍している人が何人もいます。

 

 テルミン演奏の普及を求め、2000年にマトリョーシカ型テルミン”マトリョミン”を開発、2003年に量産モデルの販売を開始しました。


 日本にテルミンのカルチャーを根付かせ広めるにはどうすれば良いか。ロシアで行われていることをそのまま日本に持ってくるのでなく、なにか工夫が要ると常々考えていました。テルミンの機能をマトリョーシカの一体の中に収めるマトリョミンのアイデアは、そうした中でのひらめきです。

 

 どうしてもテルミンというと極端や前衛に偏りがちですが、それでは多くの人の関心を呼べない、振り向かせられないだろうと考えていました。テルミンを普及させるにはまず良い演奏を見せる必要があり、良い演奏家を多く輩出するには演奏家人口の裾野を広げなければなりません。ほとんどの国でみられる一部のマニアの専有化を防ぐには、良い意味で普遍性のあるポップカルチャー化の必要性を信じて疑いませんでした。そうして産まれたのがマトリョミンなのです。

 私は1998年から演奏教室を開講、担当しています。私の弟子はやがて師になり、私と同じようにテルミン演奏法を求める人に教えてくれています。世界の中で日本は演奏者の数、層の厚さと水準においてぶっちぎりにリードしており、”テルミン先進国”と名乗るのに異を唱える人はいないと思います。他の国に無くて日本にあるものの一つが、演奏法の継承と拡散だと考えています。

 

 我々(竹内スクール)がテルミンやマトリョミンで奏でる音楽は、”実験派”の人達からすれば退屈極まりないものでしょう。せっかく音律・音階から解放されている自由な楽器なのに、どうしてまた不自由に律や階に基づいた音楽をテルミンでやろうとするのかと。私は、きっと私の弟子達もそうだと思いますが、美しいものにしか興味がないのです。テルミンほど身体性の高い楽器はなく、故に美しい音色を得るためには演奏動作を洗練させる以外に道はないのです。テルミンは電子や電気の力を用いていますが、結局のところ人間なのです。この制御における人間主体の回帰、ルネサンスが興るなら、テルミンへの関心はその芽生えなのかもしれません。

 我々はテルミン博士に始まる直系演奏法を継承し、テルミン博士が求めた音を求めています。伝統を受け継いでいることに誇りと自負がありますが、同時に21世紀に生きる我々ならではのテルミン文化の創出もテーマとしています。そのうちのひとつがマトリョミンのような楽器を創り、合奏で奏でることです。このパワフルな合奏の魅力は、テルミンでソロを奏でるものと根は同じですが、異なる歓びや愉しみを与えてくれます。

 

 たった一人ではじめたテルミンですが、弟子や仲間たちと共に大きく豊かにテルミンをめぐる状況、文化を育ててきました。伝統に軸足を置きつつ、テルミン音楽における挑戦を続けて参ります。

2014.5 竹内正実