テルミン演奏の魅力はどこにあるか。その問いに対する答えはひとそれぞれでしょう。私はただ、どこまでテルミンで美しい音色を奏でられるか、という一点についてのみ興味があり、追い求めています。
テルミン演奏というと、粗野で大げさなだけのパフォーマンスか、そっけない演奏かの両極に偏っているようです。テルミンは楽器に触れずに奏でますから、1mm動かせば1mm分だけ音の高さが変わる、極めて身体性の高いインターフェースです。ゆえに、弾く人によっては印象が「天使の歌声」にも「お化けの登場を連想させる」音にもなります。感覚と動作が直結したインターフェースはあまりありません。音印象を創るのは楽器でなく、奏でる人なのです。発音こそ電子発振ですが、制御のすべてが人間に任されています。人間に高みを求めてくる、弾く人の演奏動作に敏感に反応する正直さこそ、テルミンの魅力です。
美しい音色を得るには演奏動作を洗練させ、音楽性を育むしかない。楽器の側に音の高さの基準がないテルミンの場合、演奏者の側に演奏動作の「型」を作らねばなりません。テルミンで何を求めているか、心の中にあるものをすべて音に表してしまうテルミンは、まるで自分を映す鏡のようです。もしかしたら一生かけたとて満足のいく音色を手に入れられないかもしれませんが、私の挑戦は今日も続いています。
マトリョミンは音量の制御をしなくて良いので、テルミンに比べれば全体の制御は容易です。ゆえにテルミン入門に適していると考え創ったのですが、マトリョミンはテルミンに対し劣っているばかりでもありません。合奏の可能性があります。
マトリョミン合奏による音印象の形成は”合唱”に似ているかもしれません。もし電子キーボードでやったならば、ユニゾンで弾くパートは完全にピッチが揃っていて、原理的には振幅が大きくなるだけです。マトリョミンの場合、どんなエキスパートが弾いても相互のピッチのずれが生じ、その結果アンサンブル効果が生まれ、太く厚みのある音になります。もちろんピッチの差も程度問題で、ピッチの幅が広いとなんとも調子外れで不快な音になってしまいます。
2010年のマトリョミン温泉合宿で30名規模の、2011年の「100人のマトリョミン合奏」において167名の合奏(写真)を実施し、マトリョミン合奏の可能性を段階的に探ってきました。近距離で電波の干渉が起きにくいのは、テルミンに比べ発する電波が弱く、この特性が功を奏しているのですが、それぞれの教室でしっかり準備をし、全体の演奏水準を上げてくれたからこそ”音楽”にすることができました。演奏ビデオはこちら。
マトリョミンの特性が適していることもさることながら、各オーナー、各教室の先生が、さらなる高みを目指し、励んでくれています。演奏法の継承と拡散、持てる者が求める者に分け与える姿勢こそが、マトリョミン合奏を音楽のレベルにまで昇華させられる背景としてあるのです。
2013年はマトリョミン量産10年の節目の年でしたが、これを記念し、マトリョミン合奏でギネス世界記録に挑みました。正式な挑戦名は”Largest Theremin Ensemble(最大数のテルミン合奏)”。これまで記録は存在しません。初めて記録に挑む際、ギネスワールドレコーズが定めた標準記録250名がボーダーとなります。それにしても250という数字、他の楽器であればそれほど高いハードルとも思えませんが、テルミンの場合演奏人口が少ないだけでなく、電波の干渉の問題などもあり、そのハードル越えは容易ではありません。
マトリョミンを世に放ってからの10年、私がテルミンを習いにロシアに渡ってからの20年は、道なき道を行く、まさに挑戦の連続でした。世界的な組織の記録に挑むことは、我々のこれまでの挑戦の総決算でもあったのです。
ギネスワールドレコーズ公式認定員の他、6名の審判員が厳しく監視する中、挑戦は執り行われました。250名以上で5分間演奏できれば合格ですが、複雑な四声のアレンジを施した「アメイジング・グレース」で臨みました。ギネス世界記録の達成だけを目標にするならば、主旋律を全員ユニゾンで弾けば充分です。難易度の高い複雑なアレンジは不合格のリスクをおもいっきり高めましたが、”楽器未満”と揶揄されるテルミンを、音楽の奏でられる本格的な楽器に昇華させることを求め、それを自らに挑戦として課してきたこれまでの取り組みの総決算に相応しいと考えました。
273名で臨み、1名の不合格者を出しましたが、272名で「The Largest Theremin Ensemble」の記録を樹立しました。世界記録挑戦のビデオはこちらでご覧いただけます。
2014.5 竹内正実